東日本大震災から5度目を迎えたお盆。釜石市中妻町2丁目の洋菓子専科かめやま(亀山弘能社長)には、地元ファンのほか、久しぶりに古里を音連れた帰省客らがひっきりなしに来店していた。
ショーケースに並べられたのは、欧州の古典菓子から、生クリームやチョコレートがコーティングされた見た目にも鮮やかなケーキなど約30種。
笑顔で品定めする来店客を見つめながら亀山社長(61)は「『かめやまのケーキを買ってきたよ』。購入したお客さまがそう自慢でき、家族が笑顔になれる、そんな洋菓子を作り続けたい」との思いをさらに強くする。
以前は同所の本店と大渡町の支店の2店舗で営業していたが、東日本大震災で大渡店が被災し、資機材も多く流出した。それでも、ライフラインが復旧した約 10日後には手に入る材料を駆使し、被災を免れた本店での営業を再開。しばらくの間は震災見舞などで同市を訪れる客、「かめやま」ファンに採算度外視の一律200円でケーキを販売した。
亀山社長は1988年、盛岡市に洋菓子店「アンナ・マリー」を開店。パティシエとして洋菓子を作りながら、これまでに県内外で活躍する16人の弟子を育て上げた。震災は自身の店を閉じ、実家を継いで数ヶ月後に起こった。多くの人脈を築き上げ、盛岡に戻ることを勧められたのは、一度や二度ではなかったという。
「従業員が1人でも欠けていたら、商売自体をやめていただろう。幸い全員無事だった。それぞれが辛抱し、自分のなすべきことをする。それが復興の第一歩」。亀山社長の決断は揺るぎなかった。「ケーキを作り、食べてもらうことで、釜石市と傷ついた人たちを元気にしたい」との思いが、亀山社長のみならずスタッフ全員の心と体を今も突き動かしている。
「アクシデントは必ず起こる。しかし、そこを乗り越えられればよりレベルアップができる」。菓子作りの際、亀山社長が肝に銘じている言葉だ。「アンナ・マリー」開店直後には、大病を患った経験もあり、この言葉は「人生にも共通する」と実感しているという。だからこそ「必ず震災を乗り越える」との決意は固い。
「多くのお客さまが『かめやま』の味の記憶を持っている。その方々を裏切ることはできないし、その期待に応えたい」。今後は現在の30種から20種ほどに品数を減らす一方、手の掛かる仕事を惜しまず、さらに真心のこもった味と商品を提供しようと構想を練る。