今田美奈子スタジオを経て、間もなく新しい仕事が舞い込んできました。今までにない感性を重視したお菓子の伝道を、東京・原宿の表参道にオープンさせたいというのです。
当時八十年代前半、日本の大手企業やメーカーは、次々とヨーロッパの一流専門店と提携を結び、話題を呼んでいました。例えば、不二家はダルワイヨ、各デパートはフォーションやルノートル、ユーハイムはペルティエ、サントリーがハーゲンダッツというように、本当に華やかな時代でした。そんな中で、地下一階地上五階建ていう群を抜いたショップの立ち上げは、商品構成から設備の確保、さらにスタッフの手配と大変なものでした。チョコレート、アイスクリーム、シャーベット、デザートケーキ、テイクアウトケーキ、そしてフランス料理です。
総工費十五億円のゴージャスなビルの完成式には、業界人はもちろん、マスメディアの人たちの多いのにびっくりしました。当然、話題性の高いこの店は、毎日のように全国から同業の人たちや芸能界の人たちがやってきました。でも私の中では、何かが違う・・・そう感じ始めていました。
用いる道具、食器、食材など、すべてが最高級でした。でも作り手の心は追い付きません。それでも従業員の大半は一流気取り。恵まれすぎて、自分が求めるものを見失いかけている現状に、どうしても納得できませんでした。
結婚して間もない私は、それを妻に告げました。妻は「それならやめたほうがいいんじゃない」と、意外な返事が返ってきたものです。翌日、仲人でもあった社長に辞表を出しました。
いよいよ盛岡で、自分の夢に沿った店造りの準備に入りました。